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「整備ができる」と聞いて入隊した自衛隊…のはずが!? 波瀾万丈を経て中古車販売社長へ

  • harebarenakamura
  • 3月27日
  • 読了時間: 7分

更新日:4月18日


長崎の車の買取・販売のCrony

長崎県壱岐市出身。日産自動車の営業マンだった父の背中を見て育ち、幼い頃から「車屋さん」になることを夢見る。高校卒業後、「整備士になれる」と聞き陸上自衛隊に入隊するが、希望とは異なる道へ。ヘルニアを機に退職し、夢を追って町の中古車店へ整備士見習いとして飛び込む。その後、大手中古車販売会社で9年間、販売・買取から管理職まで幅広く経験を積む。2023年6月、独立を果たし「Crony合同会社」を設立。現在は自動車の販売・買取を中心に、顧客一人ひとりに寄り添うサービスを展開している。


 

■プロフィール

岡崎敬徳(おかざきたかのり)

1993年生まれ

長崎県諫早市出身 Crony合同会社 代表社員



自己紹介と、これまでの経緯を教えてください。

岡崎敬徳です。先日30歳になりました。出身は長崎県の壱岐です。

創成館高校を卒業した後、陸上自衛隊に入隊しました。その後、町の中古車販売店で整備士として勤務し、大手中古車販売会社で9年間勤務しました。


そして、2023年6月に独立し、Crony合同会社を設立しました。現在の主な業務は、自動車の販売と買取です。加えて、自動車のコーティングや電装品の取り付けなども基本として行っています。在庫を持つというよりは、オークション会場から直接取引したり、買取した車を欲しいという方に販売したりする形が多いです。


幼い頃から車関係の仕事に就きたいという気持ちがありました。父が日産自動車の営業マンをしていて、その背中を見て育ったことがきっかけです。買い物などに行った際に、お客様から「岡崎さん」と父が声をかけられているのを見ていました。一人や二人ではなく、多くの方から愛されている様子や、お中元やお歳暮の時期に色々いただいて帰ってくる姿を見て、「こういう営業マンになりたい」「父のようになりたい」と漠然と思っていました。小学校の卒業文集には、「車屋さんになる」と書いていました。


高校卒業後、すぐに自動車関係の仕事に就きたかったのですが、当時は求人が少なく、その希望は叶いませんでした。


学生時代は、勉強は得意ではありませんでした。今だから言えますが、高校3年間、全てカンニングで切り抜けました(笑) これも才能だと思っています。


長崎の車の買取・販売のCrony

自衛隊に入隊された理由と、そこでの経験について教えてください。

高校卒業後、自動車関係の仕事に就きたかったのですが、求人がありませんでした。そのような時に、たまたま自宅に自衛官の方が来られました。おそらく卒業生名簿か何かでアプローチされたのだと思います。その方から「自衛隊の中に、武器科や整備科という、整備ができる部署がある」という話を聞きました。


整備ができる部署に行けば、整備士の免許も取得できると勧められ、それで自衛隊に入隊することを決めました。

しかし、入隊してみると、射撃が特級(50点満点中49点でした)であったり、その他の分野でも、どちらかというと最前線に立つような部隊にしか推薦されない状況でした。銃の整備も車両整備と同じで、弾を当てられない人間には整備はできないと思い、射撃も一生懸命やった結果です。私は、「武器科に行って整備をしたい」と何度も希望しましたが、「適性がない」という理由で、なかなか希望が通りませんでした。


自衛隊の筆記試験は、マークテストだったのですが、勉強しても受かる見込みがないと判断し、ある種の賭けに出ました。過去問を見た友人が、「これ、3番の回答率がめっちゃ高いよ」と言ったのです。「どうせ受からないだろうから、全部3番にマークしてみよう」と思い、本当に全部3番にマークしました。試験開始5分で終わりましたね。それで、合格してしまいました(笑)


長崎の車の買取・販売のCrony

その後、町の中古車屋さんで働くことになった経緯を教えてください。

自衛隊では、訓練中に腰を痛め、最終的にはヘルニアになってしまいました。

その前に、自衛隊に在籍中に東日本大震災が発生しました。その時に、被災地の状況を見て「人助けこそが自分の使命ではないか」と感じました。車関係の仕事も良いですが、実際に、生死に関わる状況で人を助ける方が、より意義があり、自分の体格も活かせるのではないかと考えました。それからは、人命救助の訓練に励み、そちらの方面を目標にしていました。人生を変えようと思った時期です。


しかし、ヘルニアになってしまい、自衛隊に残ることはできましたが、ヘルニアでは、震災などが発生した際に、先発隊として現地で活動することができません。いわゆる故障者という扱いになり、駐屯地の警備などに回ることになります。そうなると、訓練の必要性も、自衛隊にいる意義も見出せなくなり、自問自答するようになりました。そして、「退職しよう」と決心し、その月に退職届を提出しました。


退職後は、「どうしようか」と考えましたが、やはり、自分には車しかないと思いました。そして、「本気で車を極めよう」と決意し、町の中古車販売店の門を叩き、「働かせてください」とお願いしました。求人があったわけではなく、飛び込み営業のような形です。「ここが良い」と思い、「雇っていただけませんか」と直談判しました。その時の給料は9万円(8万円くらいだったかもしれません)でしたが、資格を取得するための勉強期間だと考えていました。不安もありましたが、やるしかないと思って一生懸命頑張りました。


長崎の車の買取・販売のCrony

大手中古車販売会社Gでの経験について教えてください。

大手中古車販売会社Gでは、9年間勤務しました。

業務内容は、自動車の買取と販売が中心でしたが、店長やセールスリーダーなど、様々な役職も経験しました。基本的には、お客様のニーズに合った自動車を、自身で販売するか、スタッフに指導し、スタッフがお客様に満足してもらえるように尽力することを管理していました。


実は、G社の面接を受ける前に、父が勤務する日産自動車の面接を受ける予定でした。ハローワークに行って、本当は大卒じゃないといけないところに、無理を言ってお願いしたんです。父には相談せず、後から知った形だと思います。ただ、受かるかどうかわからなかったので、滑り止めとして大手の中古車買取販売のG社も受けました。正直、G社を選んだのはなんとなくで、名前を知っていたからという程度でした。


G社の面接が先にあって、福岡まで面接に行きました。そこで会社説明を聞いた際に、「この会社は素晴らしい」と感じました。以前勤務していた町の中古車販売店では、整備する際に予算の制限があり、超えると社長に掛け合っても良い顔をされないことがありました。そこで、G社の説明担当の方に「販売の中で整備費用が予算を超えた場合はどうするんですか?」と聞いたんです。そうしたら「(予算を超えても整備)しますよ」と。「例えば50万円の車で30万円の整備代がかかってもですか?」と聞くと、「だってそれが責任でしょう」と言われたんです。


その考え方に感銘を受け、「ここだ!」と思い、面接が始まった瞬間に、「私、入社します!」と宣言してしまいました。面接官は、「ええ!?」みたいな感じで、完全に驚かれていましたね。しかし、私は本気で入社したかったので、「不採用ですか?」「入社させてください!」と、かなり強引にお願いしました。その場でビジョンなどを伝え、「じゃあお願いします」とその場で合格をもらいました。通常は後日連絡だと思いますが、私は待ちきれませんでした。


翌日に父の会社の面接がありましたが、その場でG社の面接官の方にお願いして、「明日父の会社の面接があるんです。父に電話してもらっていいですか?」と頼み、電話を代わってもらいました。父も「(お前が決めたなら)いいんじゃない」と言ってくれて、そのまま日産の面接は受けずに終わりました。


今後、車以外の事業も考えていますか?

車以外の事業としては、保育園や学童保育など、困っている人を助けるような事業を考えています。実行権が一番強いので、そういったことをずっと考えています。


最後に、会社(Crony合同会社)の紹介をお願いします

私が設立したCrony合同会社は、2023年6月に設立しました。主な事業内容は、自動車の販売と買取です。その他、自動車のコーティングや電装品の取り付けなども行っています。特徴としては、多数の在庫を抱えるのではなく、お客様のご要望に応じて、オークション会場から直接仕入れを行ったり、買取した自動車を希望されるお客様に販売したりする形式が多いです。お客様一人ひとりのニーズに寄り添い、最適な一台をご提案できるよう、日々努めています。



 

Crony合同会社

〒854-0068 長崎県諫早市青葉台144番地

代表者 岡崎敬徳

事業内容 自動車の買取・販売・コーティング・電装の取り付け



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